安全な場所で自由に話すことの意義

執筆者:公認心理師・山崎孝

「傾聴に意味はない」「傾聴では引き出せない」と言われたことがあります。
傾聴を「ただ聴く」だけと誤解しているのでしょう。

年の初めは、基本に立ち戻るいい機会です。
「安全な場所で自由に話すことの意義」を改めて考えてみたいと思います。

他者の声から解放され、ありのままの自分自身でいられる

私たちは、自分自身の欲求や価値観(以下、自分の声)と、社会や所属する集団が要求する価値観(以下、他者の声)の2つを持っています。そして、2つのバランスが取れる行動を選択しています。

悩みを抱えているときは、両者のバランスが崩れています。多くの場合、他者の声が自分の声を抑えつけています。「男(女・父・母・夫・妻・子ども・上司・部下・等々)は○○であるべき」などの意識が強すぎて、自分自身を縛っているような状態です。

また、そのようなときには、他者の声に縛られていることさえ気づかないものです。

海外を放浪するなどして「自分を見つけた」という経験談を見たり聞いたりすることがあります。なぜ、一人旅をすると自分を見つけられるのでしょう?

日常生活における役割から解放され、他者の声による縛りから解放され、ありのままの自分自身でいられる体験をしたからと考えられます。

守られた空間で、話したことすべてを受け入れられることは、他者の声の縛りから解放され、ありのままの自分自身でいて良いと許可を得たようなものです。

これが「安全な場所で自由に話すことの意義」の一つです。

抑圧した感情を取り戻す

つらい経験をすると、感情が断片化して、所々しか思い出せなくなってしまうことがあります。その気持ちを抑圧して再び味わないようにして、自分を守っているのかもしれません。

本当はつらいはずなのに、その気持ちを抑圧し続けると、自分のつらい気持ちに気づけなくなってしまうことがあります。

安全な場所で何度も何度も話すうちに、断片化した感情につながりができて、統合されていきます。

感情を解放する

抑圧している感情から解放されることをカタルシスと言います。カタルシス効果を得るためには、感情を表現することが必要になります。

しかし、私たちは程度のさこそあれ、「人前で涙を見せてはいけない(みっともない)」「感情的になるのは良くない(みっともない)」という価値観を持っています。この価値観が感情表現を邪魔します。

「安全な場所で自由に話すことの意義」の一つは、感情を自由に表現できることです。そうすることによって感情が統合され、カタルシス効果を得られることです。

自分を客観視する

ネガティブな感情を頭の中に置いたままにすると、なぜかその感情は、現実より大きくなってしまいます。頭の中がその感情で満たされてしまうと、新たな思考をする余地がなくなってしまいます。

感情を自由に表現することができると、聴き手に感情を預けて、聴き手を通して自分自身を客観的に見ているような視点が得られます。

聴き手に感情を預けるわけですから、頭の中に新しい思考を置くスペースができます。新しい思考、新たな気づきを得る状態ができます。

自分の歴史を統合する

つらい経験をすると、感情と同様に、記憶も断片化してしまうことがあります。所々は思い出せるけど、欠けてる部分があって統合されていない状態です。

自由に何度も話すことによって、徐々に整理されていきます。欠けている部分を思い出したりしてさらに整理が進み、統合へ向かいます。

統合されることによって、見えていなかった自分を自分の一部として受け入れられるようになります。

まとめると

安全な場所では、他者の声による縛りから解放されて、ありのままの自分でいることができます。

ありのままの自分を表現することによって、抑圧されている感情から解放され、自分自身や自分が置かれた状況に対して客観的になれます。

自分自身の理解が深まり、統合され、自己受容が深くなります。

以上のような過程を経て自己洞察が深まっていきます。そして、自己洞察によって気づきが生まれ、気づきから意欲が生まれ、意欲が行動を生み、行動が変化を生みます。

ただし、ただ聴きさえすれば、感情や記憶が整理・統合されるわけでもありません。「ただ聴くだけ≠傾聴」です。傾聴にも技があります。また、しっかり傾聴すれば、常に行動に至るというわけではありません。新たなアプローチが必要なケースもあります。

だから、プロの存在意義があります。体験したい方は、体験カウンセリングにお越し下さい。