自分をつらくさせる考えたかのクセ ー べき思考
他者に向かうと人間関係に悪影響を及ぼす
誰もが社会の一員であり、社会の一員である以上、社会から一定のマナーを守ることを期待されます。同様に、私たちは他者にマナーを守ることを期待します。
「べき思考」がまったくないのは問題ですが、行き過ぎると自分も他人もしんどい思いをすることがあります。
やっかいなのは、「べき思考」の内容が概ね正しいことです。「他人に不快感を与えない行動をとるべきだ」という考えは概ね正しい考えです(概ねの意味は後述)。なので、自分をつらくさせる考えのクセと気づくのがむずかしくなります。
また、「べき思考」は他者への怒りを生むことがあります。コンビニから出る自動車が歩道をふさいでることがあります。そんなとき、「歩行者優先なのに、歩道をふさぐのは何事か!」と苛立ちを感じるのがこのパターンです。
このような苛立ちは、一つ一つは小さいものです。小さなものなので飲み込みます。そうしてストレスをため込んでいきます。ため込んだストレスは、何かのきっかけで爆発するかもしれません。
そのような状態は人間関係に悪影響を及ぼすでしょうし、健康にも良くありません。
基準を緩める
他者に苛立ちを感じさせる「べき思考」は行き過ぎています。
「常に周囲に気を配り、他者に不快感を与えないようにすべき」というルールを常に守ることは不可能です。電車がゆれたはずみで隣の人にぶつかってしまうことがあります。そんな不可抗力さえも許容しないルールは行き過ぎです。
「できるだけ他者に不快感を与えないように配慮するのが望ましい」くらいのバランスが良さそうです。電車がゆれて隣の人にぶつかってしまったら、すみませんと謝れば済む話です。謝っても許さない人はほとんどいないでしょう。
もし、許してくれない人に遭遇してしまったら、「変な人に関わってしまって運が悪いな。まあ、今日の不運を使い果たしたと思えばいいか」とでも考えて下さい。くれぐれも、不可抗力でも他者に不快感を与えるとイヤな目にあうなどと過度に一般化しないで下さい。
小さなことに苛立ちを感じる頻度が多くなったら、「べき思考」を疑ってみましょう。そして、基準を緩めてみましょう。