過去と他人は本当に変えられないのか?

執筆者:山崎 孝(公認心理師・ブリーフセラピスト・家族相談士)
他人を直接的に変えることはできないが、他人に与える影響を変えることはできる。

「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分自身のみ」という言葉を見聞きしたことがある方も多いでしょう。人生において直面する問題に対して、心のあり方や行動を変えることの重要性を説いたものです。変えられないことに固執せず、変えられるもの(=自分自身)に焦点を当てることを勧めています。

この言葉は、しばしば精神科医エリック・バーンの言葉とされることがありますが、実際には明確な出典が確認されていないため、信憑性に欠ける部分もあります。そのため、ここでは「一般的な考え方」としてこの言葉を捉えます。

悩みの中には、変えられないものを懸命に変えようとすることで生じるものがあります。良い意味での「あきらめ」が解決のきっかけになることも少なくありません。「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分自身のみ」。この言葉を私たちが日々の生活でどう活かせるかを考えていきたいと思います。

「ニーバーの祈り」とその意味

「ニーバーの祈り」という言葉をご存じでしょうか。この祈りは、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーによって書かれた短い祈りで、次のような内容です。

神よ、変えることのできるものについては、それを変える勇気を我に与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れる平静さを我に与えたまえ。
そして、その二つを見分ける英知を我に与えたまえ。

この祈りは、私たちが人生で直面する問題や困難にどう向き合うかについての教訓を与えてくれます。具体的には、以下の三つの心構えを示しています。

  • 変えることのできるものを変える勇気
    自分の行動や考え方をより良い方向に変えられる場合、必要なのはその変化に向き合う勇気です。問題に取り組む姿勢を示しています。
  • 変えられないものを受け入れる平静さ
    過去の出来事や他人の行動など、自分ではどうしようもないこともあります。それを変えようとする努力が問題を維持させていることもあります。無理に変えようとせず、受け入れる心の平静さが求められます。
  • その2つを見分ける英知
    何が変えられるもので、何が変えられないものかを見極めるための知恵も必要です。この2つを明確にするのは、カウンセリングのプロセスの一つでもあります。

「ニーバーの祈り」は、こうした心構えは、より充実した人生を送るための道しるべとして、この心構えを提示しています。変えるべきことと受け入れるべきことを理解し、勇気と平静さ、そして知恵を持って生きることが、心の平和を保つ鍵としています。

変えられないものを変えようとする苦しみ

私たちは時に、過去の出来事や他人の行動を変えようと無理をしてしまうことがあります。そのような努力は多くの場合、徒労に終わり、かえって心の苦しみを増す原因となります。

過去を忘れようとする努力は、その出来事に更に焦点を当てることがあります。過去の失敗や後悔にとらわれ続けると、その出来事が持つ否定的な感情に引きずられてしまいます。

相手を変えようとする行為は、相手が否定されたと感じることがしばしばあります。その場合、反発など望ましくない反応を招くことになります。相手が思うように代わってくれないとき、苛立ちや無力感を感じてしまいます。

「過去と他人は変えられない」とは、私たちが受け入れなければならない現実でもあります。

変えられるものとは何か

過去の出来事そのものを変えることができませんが、その出来事に対する「意味づけ」は変わり得るという考え方があります。

過去の失敗は、つらい思い出として心に残るかもしれません。しかし、その失敗から何かを学び、成長のきっかけと捉えることで、その出来事の意味はポジティブなものへと変化します。過去の失敗があるからこそ、その後の努力や成果が生まれたと受け止められるなら、その経験は未来への糧となります。

また、「自分が変われば他人が変わることもありうる」という視点も大切です。周りの人々の態度や行動を直接変えることはむずかしいですが、自分が態度や行動を変えると、周囲に与える影響が変わります。その結果、周囲の反応や関係性が変わる可能性があります。

自己主張の強い上司がある日のミーティングで、一歩下がって部下の話をじっくり聞くようにしてみました。すると、それまで上司に遠慮して消極的だった部下たちが、次第に自分の意見を積極的に述べるようになったというような例があります。

変えられるものに目を向け、自分自身の変化を通じて周囲に影響を与えることが可能です。

変えるとはどういうことか?

これまで見てきたように、「変える」は文脈によって意味合いが異なります。「過去を変える」と言っても、実際に過去の出来事を消し去ることはできません。「過去の出来事に対する解釈や意味づけを変える」と理解する必要があります。

「他人を変える」という言葉も同様です。他人の考え方や行動を直接コントロールすることはできません。「上司の性格を変えたい」「パートナーの行動を変えたい」と願っても、相手はあなたの思い通りにはならないでしょう。

しかし、「自分が変わることで、相手に影響を与える」ことは可能です。例えば、あなたが上司に対して、「より具体的に、自分の意見を伝える」仕事の進捗状況をこまめに報告する」など、行動を変えたとします。

すると、上司もあなたへの対応を変えるかもしれません。それは、上司自身が「変わった」のではなく、あなたの変化に影響を受けた結果と言えるでしょう。

自分と他人の境界

「過去や他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」を理解して実践するためには、「自分と他人は別個の存在である」という意識を持つことが大切です。言い方を変えると、自他の境界を認識することです。

他人の考え方、感じ方、行動は、その人自身のものです。私たちは、他人を変えることはできないし、変えるべきでもありません。たとえそれが、あなたにとって理解しがたいことであっても、相手の領域を尊重することが大切です。

自分自身の考え方、感じ方、行動は、自分で選択することができます。過去の出来事に必要以上に縛られることなく、他人の言動に過剰に反応することなく、「今、ここで、自分ができること」に集中することが大切です。

それは、周囲に無関心になることではなく、自分と他人の境界を意識することです。「変えられないもの」を受け入れ、「変えられるもの」に意識を集中することで、私たちはより自由になり、より豊かになれると信じています。

まとめ

「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」という言葉について考えてきました。

過去の出来事や他人の言動に、心を悩ませることは少なくありません。過去の失敗を悔やんだり、周りの人の言動に振り回されたりして、前に進めなくなることもあるでしょう。

しかし、どんなに苦しんでも、過去の出来事を消し去ることはできませんし、他人を思い通りに変えることもできません。

ニーバーの祈りが教えてくれるように、私たちにできることは、

  • 変えることのできるもの(=自分自身)を変える勇気を持つこと
  • 変えることのできないもの(=過去や他人)を受け入れる平静さを保つこと
  • そして、その二つを見分ける英知を磨くこと

です。

過去の経験を「意味づけ」することで、未来への糧にすることができます。また、「自分が変わる」ことで、周囲の人との関係性を変えることもできるでしょう。

「自分と他人は別個の存在である」という意識、つまり自他の境界線を明確にすることは、より良い人間関係を築く上で非常に大切です。

他人を変えようとするのではなく、まず「自分がどうありたいのか」「自分は何ができるのか」に目を向け、行動していきましょう。

「変えられないもの」を受け入れ、「変えられるもの」に意識を集中することで、私たちはより自由になり、より豊かな人生を創造していくことができるはずです。