カウンセラーとして
資格
所属
理念(というほどのものではありませんが)
大きなことはできません。笑顔を一つでも増やすお手伝いができれば、私のカウンセラー人生は成功だと思います。
自信(自尊感情、自己肯定感、自己効力感)がライフワークです。自信は人間関係の中で育ち、傷つきもします。人間関係のスタートは家族であり、家族の核は夫婦です。夫婦カウンセリングに力を入れている理由でもあります。
カウンセラーとしての研鑽
カウンセリング業を始めて痛感したのは、スキルを学ぶだけでは足りないことです。
スキルには即効性があります。スキルを学んで練習を繰り返せば、「心が軽くなりました」と満足していただける程度のカウンセリングは、1,2年(500〜1,000時間くらい)でできるようになると思います。
しかし、そこから先へ行くには、スキルだけでは足りません。
理論は基礎であり、地図でもあります。基礎があっての応用です。地図があるから軌道修正できます。理論を学んだからといって、すぐにカウンセリングの能力が向上するものではありません。しかし、長期にわたって成長するためには欠かせません。
具体的な取り組みとしては、所属する学術団体のスーパーバイザー(経験・知識の豊富なカウンセラーで、他のカウンセラーを指導・支援する立場にある人)の指導を継続して受けています。また、学術団体等の研修を定期的に受講しています。
人生経験
民間企業勤務と個人事業の経験があります。会社員時代にメンタル不調(診断はうつ病)の経験があります。この経験を活かしてカウンセラーになろう…と考えたことは一度もありません。
今も、人生経験を活かすという考えはありません。私の経験は私個人のものに過ぎませんし、私とあなたの人格や背景は異なります。私の経験をあなたに適用すると、ときには有害なこともあるからです。
一方で、人生経験は役に立っています。他人を理解する物差しは自分自身です。役に立つか立たないかの白黒思考ではなく、自分自身の経験・価値観もツールとして活用できる柔軟さが大切と考えています。
私の物語
生まれは大阪府の吹田市。幼少期に豊中市に転居しました。結婚して明石市で暮らしていましたが、親の要望で豊中市に戻って現在に至ります。
妻と3人の子どもがいます。
妻は私や子どもたちにとても尽くしてくれています。妻のおかげで今があります。大袈裟ではなく本心です。当然、腹が立つこともありますが(当然、妻もそうでしょう)、愛情と感謝の気持ちがほとんどです。
親バカを自認しています。子どもたち3人は全員、中・高で吹奏楽に打ち込んでいました。地元中学の吹奏楽部がとてもすばらしくて、入学式の演奏で家族全員が虜になってしまいました。子どもたちは6年間、吹奏楽部づけになりました。親は幸せな時間をもらいました。
子どもたちは全員成人しましたが、私は完全には子離れできていないかもしれません。
幼少の頃
気が弱かった幼少期(今も変わりませんが)。父は私が泣かされて返ってくるのが悔しかったようです。その裏返しでしょう。親族の集まる場でお酒が入ると毎回、私が泣かされたエピソードを話していました。それが本当に嫌でした。
父の気持ちを理解できるようになったのは、自分の子どもができてからのことでした。それでも、表現の仕方を考えてほしかったと思う気持ちは変わりません。
カウンセラーとしての私が拠り所にしているのは、家族療法のコミュニケーション派の理論です。コミュニケーションや言葉にこだわりがあるのは、この頃の経験も影響しているのかもしれません。
小学生の頃
母が何かで父を怒ると、父はよく私に責任転嫁しました。「孝(私のこと)が〜だから」と言います。母は取り合いませんでしたが、一度だけ「孝のせいにするな」と言ったことがありました。うれしいというより、ホッとした感じでした。
なぜ父は私のせいにするのか? なぜ母は反論してくれないのか? と、よく思っていました。
父には良い印象を持てないまま生きてきましたが、母を立てていたところは見習うべき点だと思います。また、父は言葉では私をけなしていましたが、私を登山や釣りに連れて行きました。それが父の愛情表現の形なのでしょう。
父の気持ちを理解できるようになったのは、自分の子どもたちが中学生・高校生になり、親子の距離が離れていくようになってからでした。
中学生の頃
友人に誘われてバレー部に入部しました。2年生の時、急激に上達しました。3年生でレギュラーになりました。
小学生時代は少年野球の補欠でした。競争心は一切なく、レギュラーになる意欲もまったくありませんでした。父はそれも歯がゆかったようです。
レギュラーを経験して、競争心が芽生えました。体育の長距離走で、いけるところまで全力で走ろうと試みたところ1着になったことがあります。そのような機会が増えて、自信が育つ経験をしました。
しかし、高校生になって、上には上がいる経験をします。
高校生の頃
ジョン・マッケンローが大好きで、高校ではテニスをやりたいと思っていました。強さに憧れて、空手を習おうと申し込む寸前までいったこともありました。
入学式前、他校へ進学したバレー部員と偶然会いました。彼らは入学前からバレー部の練習に参加していました。彼らに「何をしてるんだ。さっさと入部しろ」と煽られました。感化されて、入学式当日に入部しました。
高校時代は、中学時代に育った自信を失う体験が多かったです。
公立校ながら、大阪府でベスト8まで勝ち進んだ強いチームでした。レベルの違いを見せつけられました。3年生は大人に見えました。
気合いだけでがんばっていました。気合いもバカにできません。2年生の夏に主将に指名されました。自分なりに精一杯やったと思います。通知表の担任のコメントは、「クールな男がどんなときに燃えるのか、1年間じっくり見せてもらいました」でした。
ストイックに取り組んでいました。輝いていたとも思います。しかし、ただがむしゃらにやっていただけでした。厳しいだけでリーダーシップに欠けていました。他の部員は後輩たちと関係を築いていました。後輩の指導は彼らに頼っていました。
主将という肩書きに周囲は一目置いてくれました。しかし、失恋してみっともない姿をさらしたり、大学受験は不本意な結果で、何となく持っていた自信が崩れ去った時期だと思います。
大学生の頃
アルバイトと麻雀に明け暮れる生活でした。
レベルの高い環境に身を置くと、自然とそのレベルに引き上げられる経験をしたのは麻雀でした。初心者でしたが、初心者グループだけではなく上級者グループとも卓を囲んでいました。最初はカモにされていましたが、3年も続けると、対等に近いレベルにはなれるようです。
4年生になって、初心者グループと卓を囲む機会がありました。ずっと初心者グループにいた彼らは、4年経っても、それほど上手くなっていませんでした。
同じことを後年、わが子の吹奏楽で体験しました。入部時にド素人のわが子も、3年生には全国大会出場メンバーに選ばれるまでになりました。能力ではなく、環境だと思います。
就職
某大手スポーツ用品メーカーに就職しました。平均的な社員だったと思います。
妻とは職場結婚です。仕事の段取りがとても優れた女性です。妻が退職するとき、慰留したい妻の上司に呼び出されて恨み節をいただきました。「お前にはもったいない」。その通りだと思います。
1回目の転職
会社の業績が厳しくなり早期退職制度が導入されました。目をかけてくれていた上司、懇意にしてた上司が応募して退職していきました。当時、仕事がストレスフルで、加えて頼りにしていた上司が会社を去り、気持ちの拠り所がなくなってしまいました。それで転職することにしました。
そのような理由での転職は概ねうまくいきません。
転職先は、カリスマ社長が創業したベンチャーでした。前職とまったく異なる企業文化に驚きました。前職の普通や常識がまったく通じませんでした。それ以来、普通・常識という言葉を使わなくなりました。
事実上の解雇が頻繁にありました。社員の回転が異常に早い会社でした。長期間勤める職場とは感じられず、2年後に退社しました。会社の責任ではなく、甘い見通しで転職した自分の責任です。
2回目の転職と挫折
大企業と中堅企業の2社から内定をもらいました。散々迷った末、中堅企業に決めました。
出社初日に隣の部署の先輩から食事に誘われました。前任者は上司の厳しいプレッシャーを浴び続けて鬱病になり、退職したと聞かされました。自分は大丈夫だと笑って流しましたが、2年後に同じことになります。
しばらく精神科に通院しながら出社していましたが、休む日が多くなり、まったく行けなくなり、結局退社しました。最後の日、社長はわざわざ時間を作って下さいました。ねぎらいの言葉をいただきました。今でも思い出すと、申し訳なさと感謝の入り交じった何とも言えない気持ちになります。
引きこもる
その後、引きこもることになりました。自責や後悔などの考えが頭の中から離れません。考えてもどうにもならないことをぐるぐる考える日々。そして、パチンコ依存症になりました。パチンコをしているときだけ、何も考えずにいられる時間でした。
専業主婦だった妻が就職しました。現在も働いて支え続けてくれています。
ある日、新聞広告でアフィリエイトの存在を知りました。会社員を挫折した私にとって、「これが生きる道だ」くらいのインパクトがありました。やってみると、比較的早期に売上を得られるようになりました。小さな成功をきっかけに意欲が出てきました。
Webやマーケティングなどを学ぶために、それらのセミナーに参加するようになりました。時期が良かったのでしょう。順調に売上が増えていきました。
セミナーでは、会社員の方たちより、経営者や自営業者の方たちと出会う機会が多かったです。彼らを通じて、それまで知らなかった生き方や価値観を知りました。
ホームページ制作のスキルが向上すると、ホームページ制作の仕事をくれる人が出てきました。希望が膨らんでいきました。
心理学を学び始める
カウンセラーになるためではなく、人生を変えたいとの想いから心理学を学び始めました。
最初は自己啓発系セミナーでした。
心理学を学ぶきっかけをくれた場所ですが、同時に負の面も体験しました。科学・学問としての心理学ではありませんでした。心理学の要素もありますが、創始者の個人的体験や思想が色濃く感じられました。
参加者は良い人が多く、基本的に全肯定してくれます。とても居心地の良い場所です。居心地の良さは落とし穴でもあります。そこに安住したくなるからです。
結果を出す人は、得るものを得たらそこから出て、すぐに実践して、そして結果を出します。一方、居心地の良さに満足して、実践せずに安住して、そこから出られなくなる人もいます。受講者からスタッフになる人の一部はそのような人でしょう。
私も後者の人になりかけました。出ることに恐さを感じることもありました。それでも人生を変えるためには、そこから出る必要がありました。
自己啓発セミナーを全否定する気はありません。きっかけと意欲向上の機会に感謝しています。
そこで出会った友人から、職業訓練校で大学で教える先生からカウンセラーのトレーニングを受けられることを知りました(現在はありません)。幸い受講できました。その時点でも、カウンセラーになる意思はありませんでした。
カウンセラーに
その研修では、600時間のトレーニングを受けました。その後、引き続き1年間指導を受けました。その頃からカウンセラーを職業として意識するようになりました。
2,3名のカウンセリングを引き受けてみました。毎回の面接後に、先生の指導をを受けられる範囲です。
平行して、関西カウンセリングセンターを中心に学びを重ねていきました。関西カウンセリングセンターは、臨床心理士資格ができる前から理論・技術の普及啓発を行っている老舗です。
積み重ねて行くうちに、職業としてやっていける自信がついてきました。2011年から専業としてやっていく決断をして現在に至ります。
子ども(の吹奏楽)に支えられる
妻は私を支えてくれましたが、ずっと夫婦円満だったわけではありません。当然です。妻と子どもがいながら引きこもった私です。そんな夫に優しくなれる妻は滅多にいないでしょう。
厳しい状況ながら夫婦関係が好転するきっかけになったのは、子どもの吹奏楽での活躍です。
長男が中学3年生のとき、吹奏楽部が初の全国大会出場を果たしました。お金がないので東京の普門館まで、往復夜行バスで応援に行きました。それ以来、夫婦が向き合うのはむずかしくても、同じ方向を見られるようになりました。
長女も次女も吹奏楽部で活躍してくれました。熱心な部活には親バカがたくさんいます。私など到底太刀打ちできない親バカにも出会いました。子どもの卒業後もお付き合いが続いている親バカたちがいます。そのような出会いも私の心を癒して回復に向かわせてくれました。
向き合うことがむずかしい夫婦でも、同じものを見るのはハードルが低いはずです。同じものを見て分かち合う。その積み重ねが向き合うことを容易にしてくれると思います。我が家はそうでした。
メッセージ
「心はどこにありますか?」と聞かれると、多くの人は「脳」と答えるか、心臓のあたりを指さすかします。どちらも間違いではないと思います。
人の間と書いて「人間」です。心は人と人の間、つまり人間関係によって作られるとする考えも正解でしょう。私が依拠する理論である家族療法と一致する考え方です。
人間関係で傷ついた心は人間関係で癒される
私たちの悩みの多くは人間関係によるものです。また、人間関係で傷ついた心を癒すのは、やはり人間関係です。上司の理不尽な言葉に傷ついて、同僚や友人に聞いてもらってリフレッシュするのは、まさにそのことを示しています。
聞いてもらうだけでは回復がむずかしい悩みがあります。例えば、「日々の生活が息苦しい」「自分らしく生きるのむずかしい」といった悩みや、家庭内トラウマのような深い心の傷は、聞いてもらうことに加えて、専門的なサポートを受けるのが望ましいです。
大きな悩みや深い心の傷は、誰にでも話せるものではありません。無神経な言葉をかけられたり、一方的なアドバイスによって、更に傷を負う経験をした人もいるでしょう。
話したいことを自由に話して良い。話したくないことは話さなくて良い。話したことを否定されずに受容される。無用なアドバイスをされない。そのような安心・安全な場所(人間関係)があれば、大きな悩みや深い心の傷の回復も可能になります。
専門的なサポートを受けられる、安心・安全な場所を提供するのが私の役目です。
自信を育てるのは人間関係
自信はカウンセラーとしての私のテーマです。ライフワークと言えるかもしれません。
自信は大きく2つの種類に分けることができます。1つ目は「自己効力感」です。自分は〜ができる、何とかやっていけるという能力的な自信です。2つ目は「自己肯定感」(心理学では自尊感情)です。自分の存在や人格を肯定的に見る感覚です。
自分に自信を持てない悩みの多くが「自己肯定感」の悩みです。自己肯定感の悩みを解決するには、そのままの自分でOKという体験を積み重ねる必要があります。それは人間関係を通じてしか体験できません。
そのままの自分ではダメだと思っている人に、そのままのあなたでOKである理由を伝えられるのは、本人以外の他者です。自分では当たり前と思っていることが、他人にとってすばらしいことであるのを伝えられるのは、本人以外の他者です。
自信の問題を抱えている人に必要なものは、やはり安心・安全の人間関係です。専門的なサポートを提供できることはもちろんのことです。
私は専門的なサポートと安心・安全の人間関係を通じて、心の健康に貢献します。