多くの人にとってSNSは娯楽です。しかし、娯楽のはずのSNSで、心がつらくなったり、自信をなくしてしまう人がいます。そのような事態を避けて、SNSと健康的につき合う考え方や方法を提案します。
特に強調したいのは、すべての発言はポジショントークであり、その人の立場や価値観による偏りがあることです。客観的な意見など存在しません。「あなたはそう考えているのね」と流してしまうことです。
ある保育士による「長時間保育の子は難しい」発言
先日、SNSのタイムラインを何気なく見ていると、あるママさんが、保育所のお迎え時間を18時にしたら子どもの調子が悪くなったので16時に戻したとの投稿が流れてきました。
その投稿に対して、ある保育士(を自称する人)が長文の投稿を行いました。一部を切り取ったのが以下です(『ある保育士(を自称する人)』としたのは、実際に保育士か否かを確認できないためです)。
しかし実際、現場では「長時間保育の子は難しい」という認識が当たり前にあります。
投稿の趣旨は、「長時間保育に問題はない」と主張する人を批判する形で、親が知らないところで問題行動を起こすのは長時間保育の子が多いというものでした。
働くママさんの中には、わが子を保育所に預けることに罪悪感を感じている人が少なからずいらっしゃいます(ママさんだけが罪悪感を背負っているとしたら、それは不公平で理不尽ですね…)。
あの投稿によって、罪悪感をえぐられた人が少なからずいらっしゃったようです。
SNSをやっている以上、このようなことが起こるのを完全に防ぐことはできません。自分の投稿に誹謗中傷的なコメントがつくこともありえます。健康的に利用するために、少なくとも過度に傷つくことを避けるために、どのように考え、どのようにつき合うのが望ましいかを考えます。
SNSを健康的に利用するために
SNSを健康的に利用して、不要な心の傷を負わないための対処を「どのように考えるか」と「どのように行動するか」の2つに分けて提案します。
どのように考えるか
発言には常にバイアス(偏り)がある
SNS上で見られる意見や主張は、多くの場合、個人的な経験や価値観に基づいています。その意見が客観的な事実であるとは限りません。自分や他のすべての人に当てはまるとは限りません。むしろ、そうでないことがほとんどです。その人の立場や経験による偏りがあります。
批判的な意見には動機や背景がある
批判的な意見や厳しいコメントには、発信者の背景や動機があるものです。発言者が感情的になっている場合や、自身のフラストレーションを発散している場合もあります。相手の感情や状況を想像することで、過剰に反応せずに済むかもしれません。
信頼できる情報源を重視する
SNS上の情報は信頼性がまちまちです。感情的な投稿やバイアスのかかった意見に影響される前に、信頼できる情報源からの根拠ある情報を確認する習慣をつけましょう。
どのように行動するか
感情的な反応を避ける
気持ちが高ぶったときにすぐに反応するのは避けましょう。気持ちが高ぶっているときの言動は事態をより悪化させることが少なくありません。少し時間を置いて冷静さを取り戻すことが大切です。
他者と意見を共有する
一人で悩まず、家族や友人など信頼できる人に話を聞いてもらうことで、気持ちを整理しやすくなります。他者との対話を通じて、新たな視点を得たり、共感を得ることで心が軽くなることもあります。
自分にとって有益な情報を選ぶ
SNSでは多くの情報が流れてきますが、すべてに反応する必要はありません。自分にとって有益で前向きな情報だけを選び取り、必要ない情報は無視する姿勢を持ちましょう。フィードの設定を調整したり、ブロック機能やミュート機能を活用して、自分の心に負担をかけない環境を整えましょう。
建設的な対話を心がける
SNSで意見を述べる際には、感情的な対立を避け、冷静で建設的な対話を心がけます。相手の意見に反論する場合も、感情的に攻撃するのではなく、丁寧で理性的なコミュニケーションを心がけることで、健全な対話を促進できます。
あの投稿のその後
長時間保育は子どもにとってストレスになり得ると思います。しかし、子どもの発達には、家庭環境、生まれ持った気質、周囲の人間関係など、様々な要因が複雑に絡み合っています。長時間保育だけが原因で子どもが不安定になるわけではないでしょう。
先に紹介した、「長時間保育の子は難しい」投稿のその後です。
当初は同意する意見が多かったようですが、徐々に反論が出てきました。結果として、反論が優勢になった印象です。後に投稿者本人から、長時間保育を批判する意図はない、誤解を招いたことを反省する旨の投稿もありました。
偏った意見、極端な意見は注目を集めやすく、一時的に話題になることがあるようです。SNSを利用する際は、負の側面を知った上で、健康的に利用したいものです。
この投稿で最も強調したかったのは、すべての発言は発言者自身の価値観や立場が背景にあり、完全な客観性はないということです。それを認識しておくと、過度な傷つきを避けられると思います。