壁ドンの心理学

執筆者:山崎 孝(公認心理師・ブリーフセラピスト・家族相談士)

以前、大阪の某テレビ局から取材の申込がありました。テーマは「壁ドン」。取材は残念ながら直前にボツになりました。せっかくなのでメモとして残しておきます。

マンションやアパートで、隣の部屋がうるさいときに壁をドンとして抗議の意を示す「壁ドン」がありますが、今回のテーマはこの「壁ドン」ではありません。

今回のテーマは恋愛に関する「壁ドン」です。典型的なシチュエーションは、男性が女性を壁際まで追い詰め、壁に手をついて「ドン」とすることです。流行のきっかけは少女漫画・恋愛漫画でした。2014年の流行語大賞のトップ10にノミネートされました。

「壁ドン」されると「ドキッ」とします。「ドキッ」には、恋愛の「ドキッ」があれば、単に驚いただけの「ドキッ」もあります。驚きの「ドキッ」を恋愛の「ドキッ」と勘違いしてしまうこともあるというお話しです。

「壁ドン」による「ドキッ」という反応は、心理学の情動理論と深く関わっています。ここでは、「壁ドン」がどのようにして情動を引き起こし、その反応が心理学的にどのように説明できるのかを、いくつかの理論を通じて探っていきます。

情動とは何か

情動という見慣れない言葉が出てきました。簡単に言うと強い感情のことです。

情動の定義と特徴

「情動」とは、私たちが日常的に経験する強い感情の一種で、短時間で急激に生じるものを指します。

例えば、突然の出来事に驚いて「怖い!」と感じる恐怖や、何かに怒りを感じて「カッとなる」怒りなどが情動にあたります。

これらの情動は、特定の出来事や刺激に対する反応として瞬時に起こり、通常は時間が経つにつれて自然に収まっていくのが特徴です。

情動は、喜びや悲しみ、怒り、恐れ、驚き、嫌悪といった基本的な感情から成り立っています。

これらの情動は、私たちの生活や社会生活において重要な役割を果たします。例えば、恐怖は危険を回避するために、怒りは自己防衛や他者への警告として機能します。このように、情動は私たちにとって重要な要素であると言えます。

情動と生理的現象の関係

感情が起きると、体にもいろいろな変化が表れます。

  • 怖いと感じると、心臓がドキドキしたり、手に汗をかいたり、体が震えたりします。これは体が「逃げる」か「戦う」かの準備をしているからです。
  • 嬉しいときや安心しているときは、心臓の動きも落ち着いて、体がリラックスします。

このように、感情と体の変化は深くつながっています。これらの体の変化は、自律神経という体の中の仕組みによって起こります。自律神経には2種類あります。

  • 交感神経:「逃げる」か「戦う」ときに働きます。心臓を速く打たせたり、血圧を上げたりします。
  • 副交感神経:体をリラックスさせ、心臓の動きを遅くします。

感情が変わると、この自律神経の働きも変わり、体全体に影響を与えます。

心理学者たちは、感情と体の変化の関係についていろいろな考えを持っています。これらの考えは、「壁ドン」がなぜ人の気持ちに影響を与えるかを理解するのに役立ちます。

「震える」から「恐い」:ジェームズ=ランゲ説

この理論は、私たちが情動を経験する際、その感情が「生理的な反応」によって引き起こされるという考え方に基づいています。

ジェームズ=ランゲ説は、19世紀末に心理学者ウィリアム・ジェームズと生理学者カール・ランゲによって提唱された理論です。

通常、私たちは「怖いから震える」「うれしいから笑う」と思いがちですが、ジェームズ=ランゲ説では逆の順序が提唱されています。

この理論によれば、まず身体が何らかの刺激に対して反応し(心拍数の上昇、筋肉の緊張、汗をかくなど)、その生理的反応を私たちの脳が認識し、それが情動として意識されるという順序です。

たとえば、「ドキッ」という心臓の高鳴りや「ゾクッ」とする寒気が先にあり、それらの身体的な反応が「恐怖」や「喜び」といった感情に繋がると説明されます。ジェームズ=ランゲ説は、情動が主観的な経験であるだけでなく、生理的なプロセスにも深く関わっていることを示唆しています。

「恐い」から「震える」:キャノン=バード説

外部から刺激を受けたとき、脳がその情報を処理し、情動と生理的反応(心拍数の上昇や汗をかくなど)に同時に信号を送るという考え方です。これにより、私たちは「恐怖」や「怒り」といった情動を感じると同時に、それに対応する身体的な反応を経験するということになります。

キャノン=バード説は、ジェームズ=ランゲ説への反論として提案されました。ジェームズ=ランゲ説では、生理的反応が先に起こり、それが情動として意識されるとされていましたが、キャノンとバードは、感情はより複雑であり、単に身体的反応が情動を引き起こすというわけではないと主張しました。

キャノン=バード説は、私たちが日常的に経験する情動体験に一致する実感があると思います。たとえば、ある状況で突然驚いたり怖がったりしたとき、その感情を意識するとほぼ同時に身体の反応(心拍数の上昇や震えなど)も感じることが多いでしょう。

情動の二要因理論

情動の二要因理論は、心理学者のスタンレー・シャクターとジェローム・シンガーが提唱した考え方です。

この理論では、私たちが感じる感情(情動)は、身体の反応(生理的現象)と、それに対する状況の解釈(認知)の二つの要素が組み合わさることで決まるとされています。つまり、心臓がドキドキしたり、手に汗をかいたりするような身体の反応が起こったとき、その反応が何によるものかを自分でどう解釈するかによって、恐怖や興奮、喜びなど、異なる感情として感じるということです。

つり橋実験

この理論を説明するために、シャクターとシンガーの理論を証明するための有名な実験があります。それが「つり橋実験」です。この実験は、1974年に心理学者のダットンとアロンによって行われたもので、人々が「ドキドキ」をどう感じるかが、どんな状況で起こるかによって変わることを示しています。

つり橋実験の手順
  • Step 1
    2つの橋を用意する

    高くて揺れる「不安定な吊り橋」と低くてしっかりした「頑丈な橋」

  • Step 2
    男性の被験者に橋を渡らせる

    実験参加者の男性たちがどちらかの橋を渡る

  • Step 3
    女性が男性にインタビューする

    橋を渡りきったところで、女性インタビュアーが被験者に質問をし、研究の協力を求める

  • Step 4
    連絡先を渡す

    最後に、「結果に興味があれば連絡してください」と、インタビュアーが自分の連絡先を渡します。

実験の結果、不安定な吊り橋を渡った男性の半数が彼女に連絡を取りました。逆に、安定した橋を渡った男性では、その割合が非常に低かったのです。

この結果から、心理学者たちは「吊り橋効果」と呼ばれる現象を説明しました。

不安定な吊り橋を渡った被験者たちは、恐怖によって「ドキドキ」した状態になります。橋を渡った後に魅力的な女性と出会うことで、その「ドキドキ」が「ときめき」や「恋愛感情」として解釈されてしまったと考えられます。「ドキドキ」という生理的な反応が、状況に応じて異なる感情として認識されるわけです。

実生活での応用

意中の相手とのデートが実現したら、ジェットコースターやお化け屋敷といったスリル満点の場所に行くと良いかもしれません。そこで感じる「ドキドキ」を、恋愛感情として相手が感じてくれるかもしれません。

意中の異性をデートに誘うなら、ジェットコースター、お化け屋敷など、ドキドキを喚起するところへ行くと同じ効果を期待できるかもしれませんね。

「壁ドン」の流行は少女漫画からでした。漫画の中で「壁ドン」をする男性は、おそらくイケメンです。女性がその男性に好意を持ったのは、そもそもイケメンだからでしょうか。ここで紹介した理論も関係しているのでしょうか。