【自分に自信がない】あなたの自己評価は真実ですか

執筆者:山崎 孝(公認心理師・ブリーフセラピスト・家族相談士)

「気が弱い男」は、私の自己評価の一つです。主に幼少期に、父親の言葉によって形成されました。「気が弱い」は決してネガティブなことではありません。しかし、父にとって「気が弱い男」はネガティブなことでした。

学生時代の同窓会で開業していると言うと、「すごいなー」とか、「サラリーマンは社長に憧れるもんやで」と言ってくれた同窓生がいました。「気が弱い男」ではなく、リスクを取って起業したとポジティブに評価してくれました。

正反対の評価ですが、どちらも私です。

対話と合意によって現実がつくられる

私の記憶にはありませんが、繰り返し父に言われていた幼少期のエピソードがあります。

近所の子に私が泣かされて帰ってきました。父は悔しかったのでしょう。おもちゃの刀を買ってきて、「これで仕返しして来い!」と私に言いました。しかし、私は刀を取り上げられて、泣いて帰ってきたそうです。

そのエピソードを小学生の頃、何度も聞かされました。何よりイヤだったのは、正月など親戚が集まる場で話されることです。親戚のオッサンから「しっかりしろよ!」と言われると、もう最悪でした。

家族心理学の重要な認識論に社会構成主義があります。現実とは、人々が対話を通して合意されていくものという考え方です。私の父が「(息子は)気が弱い男」と言いました。親戚のオッサンが「しっかりしろよ!」と合意しました。

また、言葉の持つ意味は、環境や社会の価値観、時代、文化、常識の影響を受けています。当時の私の環境では、「気が弱い男」は情けない男という価値観がありました。

そうして、私は「気が弱い情けない男」という現実が構成されました。

自信を育てるには

同窓会では、同窓生の会話と合意によって、「リスクを取って起業した」「勇気がある」といったポジティブな現実が構成されました。

付き合う人によって、自己評価はポジティブ・ネガティブどちらにも振れます。自己評価を低下させる関係の一つはハラスメントを受けることです。ハラスメントは逃げるに限ります(逃げられない状況にいる方はごめんなさい。適切な支援が得られることを願っています)。

ハラスメントでなくても、自己評価を貶めるような相手より、自己評価が良い状態になる相手との関係を大切にしたいものです。