家族とは一つの国と考えることができます。国にはそれぞれ固有の文化があります。結婚とは、異なる国・文化で育った2人が、新しい国・文化を作るスタートと考えることができます。
夫婦ケンカは文化と文化のぶつかり合い
戦争とは正義と正義のぶつかり合いという言葉を聞いたことがあります。夫婦ケンカも同じだなと思いました。
生まれ育った家庭は国のようなものであり、それぞれの家庭(国)にはそれぞれの文化があります。何をもって正義とするかは文化的な背景も影響するでしょう。そう考えると、正義と正義のぶつかり合いは、文化と文化のぶつかり合いとも言えそうです。
そもそも、家庭の文化はどのようにして作られるのでしょう。
対話の中で意味や現実を創っている
社会構成主義という概念があります。比較的新しい概念ですが、心理療法の世界だけではなく、教育や組織開発など様々な分野で活用されています。以下のように説明されます。
- 意味や現実は客観的なものとして存在するのではなく、人々の対話によって作られたもの。
- 現実と認識しているものは社会的に構成されたもの。そこにいる人々が合意することによって現実となる。
- 人は自分の持つ認識の枠組みや知識を使って世界を理解し、自分なりの意味を生成する。
例えば下のマグカップです。私が普段使っているもので、100均で購入しました。撮影が下手なのはお許し下さい。
このマグカップについて、「100均とは思えないクオリティですね」「そう思います?実は気に入ってるんです」と合意すれば、『100均とは思えないクオリティのマグカップ』という意味が構成されます。『みすぼらしいマグカップ』という意味が構成されることもあるでしょう。
私たちが現実だと思っているもののすべてが、このように社会的(人々の関係において)に構成されていると考えるのが社会構成主義です。
家庭の文化もそのようにして培われてきたのでしょう。交わされる言葉は地域社会の文化の影響を受けているでしょう。時代の変化に合わせて少しずつ、ときには大きくアップデートされることもあるでしょう。それらを繰り返しながら次の世代に受け継がれてきたのでしょう。
文化を受け継ぎ発展させていくには
最初に戻りますが、結婚とは、異文化で育った2人が新しい国・文化を作るスタートと言えます。衝突が起きるのは当然と言えます。衝突も文化を作り発展させていく過程の一つと考えるのが健全だと思います。
衝突は関係の危機になり得るし、発展の機会にもなり得ます。その違いをもたらすのは、健全な対話の積み重ねを実現するコミュニケーションでしょう。どのようなコミュニケーションが望まれるのか。ただ言葉を交わすだけでは足りないことが多いでしょう。以下のページを参考にしていただければ幸いです。