挫折

執筆者:山崎 孝(公認心理師・ブリーフセラピスト・家族相談士)

幼稚園

よく妻がうれしそうに言っていた。

「(幼稚園の教室で)先生が目の前にいるのにオルガンの音が聞こえてくるねん」
「なんでやろ?と思ってオルガンのほうを見ると、まさと(息子)が弾いてるねん」
「『先生に教えてもらったん?』って聞いたら、先生が弾いた音を覚えて、自分で探して弾いてるねんて」
「他のお母さんたちから『ピアノ習ってるんでしょ』と言われて、『習ってへんよ』って言ったら驚かれるねん」

小学生

「ぼく、いつからピアノ習うの?」と、折に触れて言われた。

正直なところ習い事をさせるのは経済的にキツかった。月謝に加えてピアノを買う必要もあるし。

2年生の夏頃、熱意に負けて習わせることにした。

あれから10年近く過ぎた。過日、家族療法の研修で先生がおっしゃった。

「親なら、習い事させるのにカネがないなんて子どもに言うな」
「親なら、子どもにカネの心配をさせるな、悟られるな」

胸にグサリと突き刺さった。

あの頃の私は、よく息子を怒鳴っていた。

叱って育てる?

いや、そうではない。

今になってわかるのは、ふがいなかった子ども時代の自分を息子に投影して、忸怩たる思いを息子にぶつけていただけだった。

年齢と見かけは大人でも、中身は子どもの未熟すぎる親。申し訳なさと後悔は、一生抱え続けることになると思う。抱え続けるべきとも想っている。

中学生

地元の中学校は吹奏楽部が優秀なことで知られている。入学式で流れる音楽はすべて吹奏楽部の演奏だった。素人の耳でもすばらしいを感じた。

息子は当然、吹奏楽部に入部するものと思っていた。

入部届を提出する日の朝、白々しく聞いた。

私「何部にすんの?」
息子「陸上部」
私「はあ???」

私と妻は困惑。

理由を聞くと「習い事と吹奏楽部を両立させるのは難しいと顧問の先生に言われた」とのこと。

私と妻は説得する。

「とりあずやってみて、あかんかったらどうするか考えたらええやん」

割と簡単に説得成功。

親のファインプレー・・・だったはず。

パートはバストロンボーン。

「おこづかいなしでいいので楽器を買って下さい」

と頼まれたのは2年生の秋。

そこまで言われたら拒めません。。。分割で買いました。

3年生の夏。

同部初の全日本吹奏楽コンクール出場を決める。

舞台に上がれるのは100名近い部員のうち50名。今は知らないけど、あの年は3年生が優先的にメンバーに選ばれた。

確か息子の学校は、本番の前日に東京入りしたはず。当日は5時に起床して練習する予定になってたそう。

息子は同部屋の同級生と一緒に寝坊。めちゃくちゃ怒られたらしい。。。

結果は銀賞。賞の色なんてどうでもいい。。。いや、やっぱり金賞を期待してた。わずかに届かなかったそう。それでも、わが子が全国の舞台に上がるなんて、夢のようだった。

コンクールが終われば引退。そして受験。

息子「大阪桐蔭の吹奏楽部に行きたい」
私と妻「はあ??(私立は勘弁してよ)」

息子は学業成績がそこそこよくて、公立校を受験するなら学区の上位校へ行ける見込だった。しかし、彼の頭に他の選択肢はなかった。

私は腹をくくるしかなかった。

高校1年生

1年生とはいえ、中学では全国バンドのメンバー。父はコンクールメンバー入りを大いに期待。しかし、そうは甘くなかった。保護者会で顧問が言った。

「親の期待がプレッシャーになって鬱になる生徒がいる」
「あまりプレッシャーをかけないでほしい」

私、そのままやん。息子のためじゃなくて自分のため。親の夢を託されてイヤやったやろな。

1年生の終わりの頃、顧問から重大発表が。

「この夏、初の海外遠征を行います」
「ウィーンのオペラ座で公演します」

おい。そんな話、入学時に聞いてないやん。

「日本の高校生がオペラ座で単独公演を行うのは初めてです」

いや、初めてとか、そういう話じゃなくて。。。

もちろん、参加は強制ではなく任意。しかし、私が知った時点で、息子の頭は既にウィーンに行ってた。。。旅費は借金した。

高校2年生

ウィーン遠征は7月。現地で活躍する日本人音楽家がブログを書いてくれた。

大阪桐蔭はマーチングにも力を入れている。この年、コンクールは3出休み。ほぼ全部員がマーチングコンテストに出場。約180名のド迫力のマーチング。全国金賞獲得。

2年生の後半になると進学の話題が出てくる。息子は入学時から芸術系の大学を目指すと公言。同じ目標を持つ同級生は少なからずいて、一緒に夢を膨らませてたよう。

顧問は基本的に音大進学を勧めない。どちらかというと、やめる方向で説得する。就職が厳しいのが理由。ご本人が音大出身で苦労されていることもあるのだろう。

私は、仕事なんてどうにでもなる。行きたいところへ行けばいいという考え。だけど、押しつけになってはいけないと思って何も言わなかった。

息子は先生の説得にも関わらず、芸大を目指して個人レッスンを受け始めた。ところが、2月頃から個人レッスンに行かなくなっていた。芸大の話をしなくなった。

何があったんやろ。

個人レッスンを受けないことは、芸大受験をやめることを意味する。家庭で進路の話は何となくタブーのようになった。

おそらく顧問と約束していたのだろうと後に気づいた。

2月のソロコンテストで、全国もしくは関西出場を果たせば芸大を目指す。ダメなら進路を変更する。聞いたわけじゃないけどそんなところだろうと思う。

ソロコンは大阪大会のカラ金。

おそらく、彼の人生で初めての挫折だったと思う。どんな思いだったのだろう。考えるたびに切なくなる。

高校3年生

「笑ってコラえて!」に、コンクールを目指す日々の取材を受けることが決まった。息子は毎日5時半に起きて朝練に参加している。当然、メンバー入りを目指しているものと思ってた。

本人に聞いてみると、「コンクールには出ない」と言う。顧問と会ったときに聞いてみると「(オーディション出ろよと言ったら)『いいですわ』って言うんですよ」と言われた。

1年生ではメンバー入りならず。翌年は3出休み。今年こそは!と楽しみにしていた。

でも、仕方ない。本人の意志だから。

しかし、何で辞退するんやろ?

芸大をあきらめさせられたから? なんて思ったりもしたけど、朝練は毎日行ってる。モチベーションが下がったわけではなさそう。

あれこれ聞いてみると、裏方仕事にやりがいを感じてたらしい。

顧問が入院するトラブルがありながらも全日本吹奏楽コンクール出場を決める。

全国大会まで約2週間と迫ったある日、急遽メンバーの入れ替えが行われた。オーディションに出てないにも関わらず、息子がメンバー入りすることになった。

もちろん、うれしかった。

でも、複雑な気持ちだった。息子と交代する子は相当ガッカリしているだろう。何より、親が落胆してるだろうと想像すると、何とも言えない気持ちになった。

でも、やっぱりうれしかった。

3年間1日も休まず。しかも高校生活後半は毎日朝練参加。成績はオール5だった。大した奴だ。

2月の卒業公演(定期演奏会)は泣いた。

卒業後しばらく、喪失感に包まれた。素晴らしい3年間だっただけに、頭が切り替わるまで少し時間がかかった。

過日、こんな文章に出会った。

メジャーリーグで活躍する

松坂やイチローの

両親のような

親になれるのは

ホンの一握りである。

たいていの親は

子どもが

才能や運の

限界を知って

挫折するのを

見ることになる。

多分それが

親の仕事なのだろう。

そして、

そこから始まる人生に、

また夢や希望を持つ力を

育てておいてやるもの

親の仕事だろう。

団士郎(2012)『家族の練習問題 喜怒哀楽を配合して共に生きる』 講談社+α文庫

彼が芸大をあきらめたであろうときの心に思いを馳せ、親の仕事をできたのか?と自問自答すると、こみ上げてくるものがった。

ずっと、息子との関わりを整理してみたいと思ってて、いざやろうと思うと臆病になって、上の文章に出会って「よし!やろう!」と思って、ようやく少し整理できた気がする。