以下のコピーに惹かれて、小松成美さんの『人の心をひらく技術』を読みました。
当代一流のノンフィクション作家のコミュニケーション・メソッド初公開!
イチロー、中田英寿、YOSHIKI、中村勘三郎といった超一流の人の信頼を勝ち得、彼らの本を書いてきた当代一流のノンフィクション作家・小松成美。
なぜ彼らは小松にだけ心を開いたのか?
さすが作家さんと思ったのは、以下のような表現です。
和紙のように言葉を重ね、信頼を得る
人の話を聴くのは繊細な営みです。その繊細さを「和紙のように重ねる」と表現するのは、私にはとてもできない芸当です。「うわー、いいなー」と思いました。
どちらが能動的か
一方、「ん?」と違和感を持ったのは、「聴く」は受動的であり、「聞く」は能動的である、とおっしゃるところです。私は逆と捉えていました。
辞書(大辞林)には以下のように記されています。
「聞く」は〝音や声を感じとる。また、その内容を知る。香をたく〟の意。「雨の音を聞く」「昔話を聞く」「香を聞く」
「聴く」は〝注意して耳に入れる。傾聴する〟の意。「音楽を聴く」「国民の声を聴く」
「訊く」は〝たずねる。問う〟の意。「聞く」とも書く。「名前を訊く」「迷って道を訊いた」
松村明編(2019)『大辞林4.0』三省堂編修所(iOSアプリ)
カウンセラーはクライエントさんが発する言葉や非言語情報(仕草や声)を積極的に傾聴します。なので、「聴く」は「聞く」より能動的でしょと条件反射的に思いました。しかし、辞書を引くと、「聞く」が能動的と考えるのが適当です。
そもそもの話ですが、カウンセラーは「積極的」に傾聴しますが、「能動的」ではないかもしれません。
【能動的】自分から他に積極的に働きかけるさま。自分の方から他に作用を及ぼすさま。⇔受動的。「━に行動を起こす」
【積極的】物事に対し自分から進んではたらきかけるさま。⇔消極的。「━に発言する」
前掲『大辞林4.0』
話したくないこと、言いにくいことを話させるよう働きかけるのが能動的だとしたら、それはカウンセラーが取ってはいけない態度です。その態度はクライエントさんをつらくさせます。カウンセラーに求められる基本的な態度は「受容」と「共感」です。
「聴く」は受動的と考えるのが適当です。
受動的傾聴と積極的傾聴
すべてのカウンセラーが(多分)もれなく傾聴のトレーニングを受けています(いるはずです)。カウンセラーが行う傾聴には「受動的傾聴」と「積極的傾聴」があります。
受動的傾聴
受動的傾聴とは、うなずいたり、あいづちを打ちながら聴くことです。「傾聴って、ただ聴くだけでしょ」と批判的に言われることがあります。受動的傾聴を行っている場面を見て言うのでしょう。
ただ聴いてもらうだけの機会は、実は意味があります。「話す」は「離す」や「放す」と言います。受容的・共感的な相手に話すことで、心にこびりついたイヤな気持ちを離したり、執着などを手放せることがあります。自由に話すことで思考が整理されていきます。
積極的傾聴
積極的傾聴とは、話し手の言葉を繰り返したり、要約したりしながら聴くことです。反射と表現されることもあります。
「今このようにおっしゃいました。あなたの気持ちをしっかり表現出来ていますか?」「私はあなたがこのような考えや気持ちをお持ちと受け取りました。私の理解は合っていますか?」と確認しながら聴いています。
ここまで書いて気づいたのは、わざわざ「積極的」とつけるのは、傾聴とは本来、受動的なものだからかもしれませんね。考える機会をいただきました。