【子育て】過保護と過干渉

執筆者:山崎 孝(公認心理師・ブリーフセラピスト・家族相談士)

「過保護」は否定的な意味で使われることが多いようです。似た言葉に「過干渉」があります。(特に初めての)子育ては日々、迷いや葛藤の連続です。「過保護」と「過干渉」の意味や違いを認識しておくと、日々の決断に役立つと思います。

夫婦で考え方が一致せずに衝突しがちなテーマの一つが子育てです。「過保護」と「過干渉」について知っておくことは、夫婦で子育ての方針をすり合わせるときにも役立つはずです。

【過保護】子どもを望むことをやり過ぎること

過保護とは、子どもを望むことを親がやり過ぎることです。否定的な意味で使われることが多い過保護ですが、子どもの望みや意志は肯定されているので、心の発育に悪影響を及ぼす心配はさほどないと考えられます。

人は「〜したい」の気持ちを肯定されると、自分で考え、自分で行動するようになります。そうして自律性、積極性が育ちます。たとえ失敗しても、悩み、考え、行動することは糧になります。

悪影響があるとしたら、子どもが望むままに何でも買い与えていると健全な金銭感覚が身につかないといったことが考えられます。しかし、自律性や積極性が損なわれるとは考えにくいです。

極端な例ですが、このようなケースがありました。

この春、中学生になったA君は吹奏楽部に入部しました。トランペットを希望しています。ほとんどの生徒は学校所有の楽器を使いますが、A君の親は高額なトランペットを買い与えました。A君はとても喜び部活が始まる日を待ちわびました。ここまでは良かったのです。

トランペットは毎年希望者が定員を上回ります。そのため、くじ引きでメンバーを決めています。A君はまだ、トランペットのメンバーに決まっていませんでした。A君の親はそれを知っていたのですが、何としてもA君の希望を叶えたかったのです。

A君の親は吹奏楽部の顧問に直談判しました。A君がトランペットのメンバーになれるようにです。顧問は親の圧力に屈して受け入れてしまいました。

A君は希望が叶って喜びました。しかし、納得しない他のトランペットメンバーはA君と交わろうとしません。孤立していきました。顧問は部員の信頼を失いました。顧問の指示を聞かなくなりました。吹奏楽部から活気がなくなっていきました。

(複数の例をもとに創作したフィクションです。実話ではありません)

過保護は問題ないといっても、やり過ぎは他の問題を引き起こすかもしれません。ほどほどが良さそうです。

【過干渉】子どもが望まないのにやり過ぎること

子どもが望んでいないのに親がやりすぎることです。子どもが考える機会、チャレンジする機会、成功する機会、失敗する機会、悩む機会、立ち上がる機会を奪ってしまいます。自律性、積極性が育ちません。親の考えと違うことに罪の意識を感じるようになり、自分に自信を持てなくなります。

「お母さんの言う通りにしておけば間違いないから」と言われて育ちました。自分の考えを口にすると、母親は苦虫を噛み潰したような表情をしました。聞き入れられることはありませんでした。

自分の考えは変なのか?という疑念を持つようになりました。そう感じると苦しいので、考えることをやめました。いつからか、自分の考えというものがなくなったように思います。

大学は下宿が必要な遠方を選びました。家を出たいという考えはずっとありました。その希望だけは受け入れてもらえました。

家を出るとき母親は、「これで親の役目は終わりました。これからは自分でやっていって下さい」と言いました。

そう言われた彼女は突き放された感じがしました。これまで自分で考えたことがありません。ましてや自分で決断したことなどあるはずもありません。

今は結婚して家庭を持っています。自分で考えて、自分で決めてきたはずですが、常に母親の意向に沿って生きているように感じています。自分の人生を生きていないと感じる毎日です。

(複数の例をもとに創作したフィクションです。実話ではありません)

まとめ

子どもの意に沿っている過保護は決して悪いことではありません。そもそも子どもは親の保護が必要です。親の保護という安全基地があるからこそ、新しいことにチャレンジして傷つくことがあっても、安全基地で回復して次へ向かえます。

過干渉は、子どもが自分で考え、行動する経験を持てなくします。自律性、積極性が育つ障害になります。まったく干渉しないのは不可能でしょう。何も知らない子どものために親がレールを敷くことも必要でしょう。それは、レールから外れる自由とセットであることが望ましいです。