今年、大阪桐蔭高校吹奏楽部へ進学した長女の同級生。今年のコンクールでソロを吹くらしいです。野球部で言うと1年生エースのような存在でしょうか。わが家で「すご〜い!」と盛り上がりました。
息子が同吹奏楽部へ進学した年、ソロはともかくコンクールメンバー入りを期待しました。1年生とはいえ中学では全国バンドのメンバー。いけるんじゃないのと。現実は、先輩たちがとても上手くて、オーディションを受けるまでもなく結果は明らかでした。
そんなこともあり、長女の同級生がソロを吹くことに、驚きと賞賛を覚えました。
努力は報われない(こともたくさんある)
息子の3年間を通してわかったのは、上手い子は初めから上手いということ。為末大さんは著書『諦める力』で、「オリンピックの陸上100mで金メダルを取れるか否かは、生まれた瞬間に決まっている」と言います。
同吹奏楽部でも、毎日一生懸命朝練に励んでる子が、まったく朝練しない子に及ばないことがあります。努力しても越えられない壁があるのは残酷な事実です。
努力できる力
島田紳助さん。好き嫌いがはっきりする人ですね。私は好きです。天才だと思います。その紳助さんが昔、漫才師の卵たちに行った講義にて、こんなことを言ってました。
世の中すべて才能や。そやけど才能は教えられへん。俺が教えられるのは正しい努力の仕方やねん。
才能には5段階ある。努力にも5段階ある。才能が5の奴が5の努力をしたら、5×5=25で最高点や。
弟子の中には、4くらいの才能があるのに、2や3くらいの努力しかせん奴がおった。そんな奴はどうでもええねん。好きにしたらええねん。
○○は残念ながら才能がなかった。1.5くらいや。でも、あいつは5の努力ができる奴やねん。そういう奴は成功せなあかんと思うねん。だから「お前、漫才やめろ」ってやめさせて、店やらしてんねん。店、繁盛してるわ。
努力できる人は、ある道で開花しなくても、別の道で開花できる。努力できない人は、どの道に行っても開花しない、と言いたいのでしょう。
人生の課題と危機
エリクソンの心理社会的発達理論では、人生を8つのステージに分けて、各ステージでの課題と、その課題を達成することによって得られるものを示しています。
4つ目のステージは児童期(6才〜12才)。課題と危機は「勤勉」と「劣等感」。課題を乗り越えて得られるものは「有能感」。
自分の課題に取り組み成し遂げる。その過程や結果を周囲から励まされたり認められたりする。劣等感を感じることも必要。できない人の痛みを理解できる人に。バランスよく課題と危機を乗り越えると有能感が得られる。失敗すると劣等感が強くなり自分を固定できなくなる。自分に自信を持てなくなる。
児童期の定義は6才〜12才ですが、その時期にクリアできなかった課題は後に再燃します。大人にも少なからず「勤勉」と「劣等感」に直面している人がいます。私自身も直面することがあります。
クリアするには、結果はともかく、やりきること。年を重ねるにつれて、「うまく行かないんじゃないか」なんて余計なことを考えて、やりきるのがむずかしくなりがちです。
わが子はクリアしたのだろうか?と時折思います。
結果はともかく、やりきること。やりきる力をつけること。子どもたちは、それぞれの置かれた場所でそれに取り組んでいるのでしょう。親の仕事は、それを見守り、励まし、時には慰めることなのでしょう。
吹奏楽コンクールの季節になりました。わが子3人はそれぞれの立場で本番を迎えます。色々なことを考えてしまう毎日です。
<追記>
努力という言葉には「苦」が含まれているようで好きではありませんが、努力以外に適当な言葉が思いつかないので使いました。