アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)

今の時代、あれほど露骨な言葉を聞く機会があるとは予想できませんでした。

松本人志さんの発言を紹介する記事には、前園真聖さんの発言も紹介されてます。「スポーツ選手に対してリスペクトがあればこんな言葉にはならないのかなと」との発言です。

そうではないと思います。リスペクト云々ではなく、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)、ジェンダー・バイアス(男女の役割に関する固定観念、決めつけ、偏見)の問題です。

張本氏を糾弾する意図で書いているのではないと強調した上で続けます。

張本氏には、男尊女卑的な考えが刷り込まれていると思います。しかし、ご本人は自分には偏見などないと信じているはずです。アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)と呼ばれるものです。

昭和や昭和以前の男たちには、程度の差がありこそすれ、男尊女卑的な考えを刷り込まれた人が多いと思います。私には偏見に気づかされた痛い経験があります。まだ気づけていない偏見もあるだろう。気づける自分でいようと心かげています。

私が20代、30代の頃(30年くらい前)は、「女の腐ったような奴」「女々しい」という言葉が当たり前のように使われていました。(意識の有無に関わらず)女性を下に見ているのは明らかです。それが偏見であると認識されるようになったのは、割と最近のことだと思います。

DVやハラスメントの背景にあるのがアンコンシャス・バイアス、ジェンダー・バイアスです。力によるコントロールを良しとする価値観、男尊女卑的な価値観。それらが刷り込まれていて、疑問に感じないことです。

ジェンダー・バイアスは女性に対するものだけではありません。「男なのに」「男らしくない」は男性に対する固定観念によるものです。LGBTQに対しても同様です。忘れてはいけません。

改善のプロセスは、自分自身の偏見に気づくことから始まると考えています。個人的に心かげているのは、まだ気づけていない偏見があるだろうという姿勢でいることです。気づくきっかけの一つは、感情が揺れ動いたときです。

恥を忍んで白状します。あることで苦言を受けたときのことです。同じことを男性と女性に言われました。男性に言われたときは、後悔と痛みを感じました。女性に言われたとき、後悔と痛みに加えて、少しの不快さを感じました。

何がそうさせたのか。ジェンダー・バイアスしか考えられませんでした。ショックでした。

手放すために行ったのは、「ジェンダー・バイアスがあることに気づいてしまいました」とカミングアウトすることでした。カウンセラーの研修など心理的に安全な場で、自分のことを話す機会があるたびに話しました。

明らかに不快な表情をする方もいましたが、多くの人はカミングアウトしたことを好意的に受け止めてくれました。「話す」ことで「手放す」プロセスが進みました。「こうしてクライエントさんは変化していくんやな」と改めて感じた体験でした。

あのときの自分と苦い気持ちを振り返る機会になりました。

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